うつ
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6年前にうつになりました。
私は、6年前にうつになりました。仕事上の問題からです。社長と部長から「やれ!」と言われていたことを進めている時に、その下の「次長」が、「やめろ!」という指示を出したからでした。
「進める」「止める」の両ベクトルの中で、身動きがとれなくなりました。そのために、精神が引き裂かれ「うつ」になりました。
布団から出られない日々
布団から出られない日々が続きました。唯々恐くてひたすら寝ていました。本を読むことも、テレビを見ることもできませんでした。
仕事にも行けず、病休を頂きました。病休・休職を頂いた期間は、結局1年6か月になりました。
「二度と社会復帰はできないのか?」と何度も思いました。「親より先に死ぬのかな?」と何度も思いました。
「死ぬ気で散歩に出かけ、疲れ果てて寝込む」という生活が何ヶ月か続いたと思います。
少し良くなったことブログを始めました。その時のブログはこちらです。
さらに良くなったとき、趣味のところで書いたゴルフを再開しました。それから徐々に快方に向かっていきました。
恵みだったと思える「うつ」
良くなった今としては、「うつ」は恵みだったと思っています。「人生はあざなえる縄のごとし」という言葉がありますが、それは、「半分あっていて、半分あっていません」
あっている理由としては、「あの時は辛かったけど、今は幸せ」と思える点です。
間違っている理由としては、「あの時、辛いと判断したのは、自分の勝手」という点です。
「うつ」=「辛い」という価値判断を加えたのは、間違いなく「自分」です。自分が「辛い」と決めなければ、「辛くはない」のです。
その両方の点から、先の諺は半分あっていて、半分あっていないと思うのです。
あなたも「うつ」から抜け出せます!
私がうつから抜け出ることができたように、あなたもうつから向け出ることができると信じています。うつから抜け出たいと思われるからはお問い合わせからアクセスしてください。
うつから抜け出すために
うつから抜け出すために大切なことは、
なんで自分がこんな目に・・・
という思いから抜け出すことです。
うつになってから、ブログを始めました。すぐにお友達ができました。誰もが優しい言葉をかけてくれます。
しかし、そこに居心地の良さを感じてしまったら、抜け出せなくな入ります。
私はうつになり6年経ちましたが、その中でかなりの数のうつの人と出会いました。ほとんどがネット上のつながりですが、その中でうつから抜け出せた人は、ほんの数人です。
その内の何人かは今でもブログを続けていますが、状況が変わっていない人が多々います。彼らには「自ら変えよう!」という意志がないように見受けられます。
「自分は可哀想」とおもってしまったら、それでおしまいです。抜け出せません。
「薬と休養でうつは治る」と言われていますが、それは軽度のうつでなおかつ初期対応ができたときに限られたことだと思います。
分かっていない医師やカウンセラー
うつになり何人もの医師と出会いました。彼らは単なる「薬屋さん」です。「抗うつ薬」と「抗不安薬」を適当に組み合わせて処方するだけの人達です。
認知療法とかが注目されていますが、カウンセラーも「いいかげん」だと思います。
認知行動療法で「認知の歪み」とか言いますが、「歪んでいない認知とはいかなるものか」「それをあなたは認知できるのか」と質問して、答えられるカウンセラーはいないでしょう。
歪んでいない認知とはいかなるものか
歪んでいない認知について考える場合、それは「哲学」になります。
哲学は完成されていません。ですので、歪んでいない認知は、「誰にもわからない」のです。
また、認知とは「観測」を意味します。五感でどう感じるかが認知です。
ミラクルフルーツ(果実自体は甘くないが、次に食べた物を甘く感じさせるフルーツ)を食べた人は、認知に歪みを来している事になります。
しかし、その人にとっては「レモンは甘いもの」になるのです。「人生は辛いもの」と思っている事が、認知の歪みであったとしても、本人がそのように感じてしまっていたら、「人生は辛いものに違いない」のです。
それは、「価値観」です。その人の認知が特別歪んでいる訳ではありません。誰しもが歪んでいるのです。
歪んでいない人がいるとしたら、それは「イエス」と「釈迦」位ではないでしょうか?
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