宗教
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宗教について
宗教の目的とは何でしょうか?
宗教の目的とは、「生きとし生けるものを幸福にすること」と言えると思います。これが宗教の定義と言えるでしょう。
この目的に反する宗教は、「カルト」と言えると思います。本来「カルト」は学術的に定義されているのですが、それらの定義より、この定義の方が説得力があると思います。
「法律は執行されたときに初めて意味を持つ」と言われています。
例えば、駐車違反を規制する法律ができたとしても、それをおまわりさんが執行しなければ「意味はない」のです。
宗教も同じです。優れた教えがあったとしても、それを実行する信者が「誤った行い」をするのであれば、それは「意味のないもの」になってしまうのです。
正統的とされているキリスト教でも、「コーランを焼こう!」という運動をしようとした教会もあります。
イエスから「汝の敵を愛せよ」「迫害するもののために祈れ」と教えられたのに、その教えを執行する「信者」が「誤った解釈・行い」をするのであれば、正統的なものでさえ「カルト」になってしまうのです。
あなたは信仰を持っていますか?
あなたは信仰を持っていますか?持っているなら、「何の為に信じているか」を問うてみてください。
クリスチャンの場合
クリスチャンの場合、「裁きの日に永遠の業火に焼かれることなく、天国に入るため」と答える方もいらっしゃると思います。「現世で、善行を蓄え、来るべき日に備えよう」として、日々信仰しているかも知れません。
しかし、もし「永遠の業火」とか「裁きの日」がなかったとしたらどうでしょう?それでもあなたは信仰を貫きますか?
そう言えないとしたら、あなたの信仰は「御利益信仰」です。信仰を最適化する必要があります。
また、死んだ後のために、現世での全ての満足を放棄するのでしょうか?それでは、現世が最適化されていないことになります。
マザーテレサが死に行く人の世話をしたのは、「この世で愛したかった」からだと思います。来世のみ気にする人は、現世にもフォーカスする必要があると思います。
仏教徒の場合
仏教の場合、宗派や原典があまりにも分化されているため、一概に言うことは難しいですが、「煩悩撃退派」と「来世救済派」に分けられると思います。
煩悩撃退派とは、煩悩の火を消すために、坐禅等の修行をするという派です。基本的に「現世での欲求の充足は=悪」と捉える傾向があります。自力で何とかしようとするものが多いです。
来世救済派とは、念仏等を唱えることにより、来世または死後、救われたいとする派です。行いよりも信心の方が大切とする傾向があります。他者に何とかしてもらおうとするものが多いです。
共にこの世での満足を放棄しています。仏教においても現世にフォーカスすることが必要だと思います。
最適化された宗教とは?
キリスト教は、社会的な行動を取ってきました。社会を善くしようという想いが強いと言えます。しかし、その想いが強いため「排他的独善主義」に陥っているように見えます。
それに対し、仏教は個人的な問題に終始している気がします。個人的課題だけでなく、社会に働きかけるべきと言えるでしょう。
2つの宗教どちらも、欠けている点があると思います。それでは、最適化された宗教とはどういったものなのでしょうか?
最適化された宗教とは、「愛したいが為に愛する」を実践する宗教だと思います。
「例え永遠の業火で焼かれるにしても、私はあなたを愛したいが為に愛する」という基準で「生きとし生けるも全て」を「愛する宗教」が「最適化された宗教」だと思います。
この基準で信仰できれば、どのような宗教を信じても良いと思います。ただ、この基準で信じていればいずれ宗教はなくなると思います。
その時、宗教は、「信仰の対象」ではなくなり、「形而上学を含んだ科学」になると思います。
日月神示
日月神示というものが日本にはあります。これは宗教ではありませんが、神からのお告げといわれています。
しかし、その神示の中で言われているのですが、『この神示を元に宗教を起こすなかれ!』というようなことが書かれています。
また、今までの宗教は滅びる・滅びなければならない、と書かれていました。
神示の内容の真偽は各自が判断することであると思いますが、読んで見る価値は十分にあると思います。
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